私のトランペット遷史 その1

コロナ禍はまだまだ続くよどこまでも!

この機会に、「私のチンドンの歴史はトランペットの習得の変遷であると言っても言い過ぎではない。

ので」、いかにトランペットをチンドンに同化させてきたか思い出として語ってみたいと思っています。

そこで、まず何故チンドンをと言う部分から始めなければスタートがきれません。

まずはそこから記載していきます。

最初に、チンドンを志した理由は、「ほんものクラブ」と言う、創業経営者の経営の勉強会を9年間主催してきましたが(商工会議所で経営指導員・中小企業診断士)、終了に当たり、このメンバーで何か事を始めたいと思ったことが、最初のきっかけでした。

時期を同じくして、楽器屋さんを常滑市内で開店させたいと、商工会議所に相談に来た店主と意気投合。

そこで、彼の得意な楽器を習い始めたのが前出の時期とほぼ同時。

 

そこからトランペットの格闘が始まりました。2004年頃だと記憶しています。

最初は、いきなり現物を購入するのはリスクもあり、店主の彼からも「やるのはいいが、この年齢(私51歳位)からだと99%モノにならないよ。10年かかっても難しい」とハッキリ言われました。

だが、どうせやるのなら、彼の一番得意な楽器の方が習い易い。それが、一番の理由。他の楽器をと、迷った事は全くありません。(習得の怖さも全くわかりません)

そこで、約2年間はマウスピース(購入・5,000円位)で音が出るようになるまで、ほぼ週に一回お店で特訓させていただきました。そこで、何とか音が出初め、音階も1オクターブぐらいなら何とか出たため、

ついに、第一号器を購入(2006.6)するととなりました。

YAMAHA製のスチューデントモデルで定価で7万弱でした。(写真参照)

 

丁度やり始めた2年後位に、体の全関節が痛みを伴う病気が発症するとは思いませんでした。

指・肩も当然痛かったので1.1㎏のトランペットが持てません。トランペットを天井から吊り下げ、練習したこともありましたが、口唇に当てるマウスピースも安定しないので、全く練習になりません。そんな時期が約1年間ありました。(辛かった)

そんな時期を経て、次の2号器(バック)に引き継がれて(2009)いくことになります。

下記器は現在Tさんのもとで眠っております(笑)   

その2に続く。

 

2021年08月21日